フットボールカルチャー > プレーヤー特集 > ジネディーヌ・ジダン
近代フットボール選手の中で、ジネディーヌ・ジダンほど、成功あるいは批評家からの絶賛を欲しいままにしてきた人物はほとんどいない。
‘ジズー (Zizou)’の愛称で広く知られる彼は、自身を中心とした桁外れに強いフランス・チームを率い、FIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップとヨーロッパ選手権の二冠を達成した。また、イタリアの巨頭ユベントス(Juventus)で5年間司令塔として活躍した後、4,700 万ポンド(約88億円)でスペインのレアル・マドリード(Real Madrid)へ移籍し、世界最高額プレーヤーとなった。
個人的な活躍としては、1998年がジダンにとって間違いなく最高の年だった。この年、仏ワールドカップでチーム優勝の立役者となり、ジダンはヨーロピアン・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーとFIFAワールド・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーの栄誉を手にしている。ブラジルに分があると見られていた決勝で、勝利を決めたのはジダンのヘディングによる2ゴールだった。しかも、それは母国の土の上で成し遂げられ、前代未聞の国家的大賞賛に迎えられた。
とはいえ母国において、必ずしもジダンはいつも愛されてきたわけではなかった。アルジェリア人の夜警の息子として生まれた彼は、マルセイユの治安の悪い地域で育った。敬虔なイスラム教徒でありアフリカ移民の息子であったジダンは、地元住民らによる人種差別や敵がい心にたびたび耐えなければならない幼少時代を送ったのだ。
フットボールプレーヤーとして成功を収めた後も、フランス国民全体からは、そう簡単に受け入れられたわけではなかった。
フランス代表が予想外の敗退をし、96年ヨーロッパ選手権(ユーロ96)から早々に姿を消したのを受け、フットボールファンの間には‘ザ・カラード(有色人種)’と呼ばれる選手たちのチームへの参加に疑問を抱くネガティヴな傾向があった。しかし、その後すばらしい勝利を収めたフランス代表は‘レインボー・チーム’と命名され、その功績にかつてないほど国中が沸いた。この国をあげての熱狂は、チームの成績のみならずその多文化的な構成を認め、祝福しあうパーティーだったと言ってもいいだろう。
ジダン本人は、自分の成功の理由をあっさりとこう語る。「父はすばらしい人だ。彼は私に、すべての人に敬意を払っていれば、自分自身が人々から敬意を払われるようになるということを教えてくれた」
文:マイク・リー
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