フットボールカルチャー > プレーヤー特集 > フランク・ランパード
まだ駆け出しのプレーヤーだったころ、ランパードはファンの批判の矢面に立たされた。その屈辱を前向きなエネルギーに変え、彼は世界で2番目に優れたプレーヤーに選ばれるまでに成長した。
ロナウジーニョ(Ronaldinho)、ルーニー(Rooney)、ロナウド(Ronaldo)-ワールドカップドイツ大会で間違いなく注目されるであろう、3人の名手たち。いずれも、初めてボールを蹴ったその瞬間から天賦の才能を磨き上げ、完成させてきた。
しかし、ここにもうひとり、この夏に世界の脚光を一身に受ける可能性を秘めたプレーヤーが、フットボール界エリートのひとりとして名を挙げている。強い意志と、人並みはずれた練習量でのし上がってきた、叩き上げのプレーヤーだ。
「練習が完ぺきな技を作り上げる」とは、飽きてしまった子どもに繰り返しペナルティーキックの練習をさせるために、よく言われる言葉かもしれない。しかし、チェルシー(Chelsea)のミッドフィールダー、フランク・ランパード(Frank Lampard)は、自分の好きなことを根気よく続ける強い意志と努力があれば、トップレベルでの活躍さえ可能であるということを、この3年にわたって証明してきた。
ウェスト・ハムでの苦悩
チェルシーは、2001年に同じロンドンのウェスト・ハム(West Ham)から、1,100万ポンド(約22億7,000万円)という、フットボール関係者の一部が耳を疑う高額の移籍金でランパードを買い取った。27才のランパードは、叔父ハリー・レッドナップ(Harry Redknapp)が監督、父であるフランク・ランパード・シニア(Frank Lampard Snr)がコーチを務めるウェスト・ハムで、選手生活初期の発達期を過ごしたのだった。
一部のファンが、ランパードの家族の人脈を身内同士のひいきだと批判することもあった。「彼がウェスト・ハムのピッチを歩くとひどい非難を浴びせられた。普通の若者だったら、あれでつぶされていただろう」レッドナップは、BBCスポーツのインタビューで語っている。「しかし、彼はそんなことには動じなかった。自分自身を信じていたからね。それに今の彼を見れば、最後に笑ったのが誰なのか、わかるだろう?」
レッドナップは、ののしりを受けたことが、一番になろうとするランパードの気持ちを強くさせたのだと考えている。「誰もが家に帰ったとしても、フランクは午後になると独りで練習場に戻ってきて、練習をしていたものだった」元監督のレッドナップは語る。
甥のランパードは、ウェスト・ハムで過ごした時代についてこう話す。「あの時期に、人間としてもプレーヤーとしても強くなった。10 年間懸命にトレーニングとプレーをしてきたことで、やっと非難されてきた屈辱をはらすことができるようになったよ」
チェルシーのニューヒーロー
記録的な移籍金で移ったものの、ランパードが開花したのは、2004年に現監督のホセ・モウリーニョ(Jose Mourinho)がチェルシーにやってきてからのことだ。この2シーズンは、チェルシーもプレミアシップを席巻する強さを見せている。
チェルシーの監督として臨んだ初めての記者会見で、モウリーニョは一人ひとりの選手についてはまだ話すことはないとしながらも、唯一、「私はランパードにほれ込んでいる」とコメントした。
2004-05シーズンは、おそらく同クラブにとって史上最も成功を収めた年と言えるだろう。ミッドフィールダー、ランパードの大活躍で、プレミアリーグおよびリーグカップで優勝したうえに、チャンピオンズ・リーグでも準決勝まで進出したのだ。ランパードは、チームがプレミアリーグで戦った全38試合に出場、13ゴールを挙げたのだった。
理屈抜きのベスト
最近になって、医療担当者は、ランパードの心臓が標準以上の大きさであることを発見している。その大きさは、自転車レース、ツール・ド・フランスの王者でガンも克服したランス・アームストロングと同レベル。これが、ランパードが人並みはずれた運動量と戦績を誇る理由なのかもしれない。
2005年10月、モウリーニョ監督は、自らが一押しするランパードをドイツの伝説的プレーヤー、マティアス・ザマー(Matthias Sammer)が唱われた称号に例え、「世界一のプレーヤー」と讃えた。ランパードは、2005年FIFA年間最優秀選手の投票で、ロナウジーニョに次ぐ2位になっている。
そして母国のために
だが、イングランド代表としてはどうなのだろうか。2001年に鳴り物入りでチェルシーに移籍したランパードだが、代表チームでは2002年日韓共催ワールドカップに呼ばれることはなかった。
ようやく競争率の高いイングランド代表のミッドフィールダーの地位を不動のものにしたのは、母国代表として3ゴールを決める大活躍を見せたユーロ2004でのことだった。その時のランパードのパフォーマンスがあまりにもすばらしかったために、それが、長年イングランドのためにプレーしてきたポール・スコールズ(Paul Scholes)に、代表引退を決意させる一因となったとも考えられるほどだ。
幸運に恵まれ、努力の積み重ねと強い決意が実ってドイツで成功を収めれば、ランパードがフットボールの殿堂入りを果たすことも、あり得ない話ではないだろう。
2006年5月
ベン・ラプトン
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