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ワールドカップ独大会で過去と決別できるか?

川口能活    

フットボールカルチャー > プレーヤー特集 > 川口能活

今年6月、自身のプロキャリアの中で3度目のワールドカップイヤーを迎える川口能活。フットボール最高峰と位置づけられるこの大会に向けて、川口がひそかに立ち向かう、もう一つの戦いがある。

海外の競技生活での苦戦
今から4年半前の2001年秋。川口能活は日本人GKとして初めて海外挑戦の道を選んだ。その舞台はイングランド・ディヴィジョン1(プレミアの下部リーグ、現在チャンピオンシップ)のポーツマス(Portsmouth)。ところがフットボールの母国は彼が想像していたよりずっと厳しい場所だった。

ゴールなどの活躍度で評価されるFWとは違い、GKは何よりも安定感が求められるポジション。チームメートに指示を送るリーダーシップやコミュニケーション力が不可欠だ。日本代表として98年フランスワールドカップを経験したとはいえ、当時の彼には言葉も文化も異なる国でプレーすることの困難が、まだ、実感として迫ってきていなかったのかもしれない。

フットボールの母国イングランド。今やプレミアリーグ所属選手の半数近くが非英国人というほど外国人比率が高い。とはいえ、その多くは英連邦や、英語が広く使われている北欧圏からやってきた選手。遠いアジアの出身者はまだまだ少ない。そんな英語環境に全く言葉の通じないGKが行ったのだから、適応するのに時間を要するのは当然だった。

立ちはだかる「世界の壁」
しかしポーツマス側は移籍直後から彼をピッチに送り出した。低迷するチームの救世主として期待をかけたのだ。が、川口は守備陣とうまく連携が取れない。日本で使っていた用語が通じなかったり、発音が理解してもらえないなど、自分が英語だと思っていた表現が現地の英語と全く違うことがあるのに気づいたと、本人も苦笑する。

しかもイングランドは下部リーグに行けば行くほど伝統的な‘キック&ラッシュ’の色合いが濃くなる。ディヴィジョン1も例外ではなく、身長179㎝の川口は、高さの面でも苦戦を強いられた。

もう1つ、‘商品価値としての誤算’もあった。ポーツマスは川口獲得によって日本からの観客動員やグッズ販売などの巨額の収入を見込んでいたが、実際には予想をかなり下回ってしまった。こうした悪条件が重なり、彼はたった11試合でベンチに下げられ、その後、プレー機会を得ることは一度もなかった。

耐える日々で得た成長
ベンチ生活が始まって1年以上が経過した2003年2月、サザンプトンの古びた練習場で懸命にボールに飛びつく川口を訪ねたことがある。2002年日韓共催ワールドカップに出場できず、その後に発足したジーコジャパンからも遠ざかっていた時期。彼はイングランドで成功しようともがいていた。

「今は耐える時期。それをやっている時は長く感じるかもしれない。でもこの状況が死ぬまで続くわけじゃない。心配していません」と彼は努めて明るく振る舞った。若い頃は自己主張が強く、不満があればストレートにぶつけるような部分があった川口。しかし異国生活を経験してその内面は確実に変わった。

「僕は日本人の心を持って育ち、26歳になって異文化に独りで飛び込んだ。最初は戸惑いましたよ。英語も思うように話せず、友達もいなかった。ゼロから少しずつ現地に適応して、GKとしての能力も上がってきた。一つ一つだけどレベルアップしている。自分の中で成長を感じ取ることが大事なんです」と焦らず物事を大きくとらえることを学んだ。そして「多くの人に支えられていることも分かりました」と感謝の気持ちも持つようになったという。

差し始めた希望の光
2003年秋にはデンマークのノアシャラン(Nordsjalland)へ移籍。試合に出られない状態からようやく脱した。Jリーグ時代のような大活躍とはいかなかったが、再びピッチに立つようになったことで「試合に出なくても成長できる」と言い続けてきた気持ちに微妙な変化が訪れた。

それを決定的にしたのが2004年夏のアジアカップ(中国)。正GKだった楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)の負傷によってチャンスを得た川口はコンスタントに戦い続け、日本の2連覇に貢献した。とりわけ強烈な印象を残したのが準々決勝のヨルダン戦における4連続PKセーブ。敗色濃厚だったチームを救ったのは、まさに川口だった。

「戦いは苦しかったけど遊び心を持って臨んだ。こうしたプレーは全て、普段の積み重ねだと思う」と、川口は目を輝かせて語った。

ドイツ大会で挑む川口の敵
フットボールは日々の積み重ね・・・。その重要性を実感した川口は、翌2005年、Jリーグに復帰する。「日本に戻る気持ちは1%もない」と言い続けた彼を変えたのは、こうした環境の変化であり、デンマークまで出向いたジュビロ磐田の山本昌邦監督の説得によるものだった。

そして2006年春。川口はコンスタントにJリーグで戦いながら3度目のワールドカップへの準備を進めている。最近の彼は精神的にも安定し、円熟味を増した。

数週間後に迫ったワールドカップドイツ大会は、志半ばで終わった世界挑戦にもう1度トライするチャンスでもある。川口が成功できなかったイングランドのクラブで活躍するオランダ代表GKエドウィン・ファン・デル・サール(Edwin Van Der Sar)やチェコ代表GKペトル・チェフ(Petr Cech)も出場するこの大会。日本の守護神川口は、彼ら世界のライバルを上回るパフォーマンスを見せて、冬の時代と決別することができるのか。大いに注目できそうだ。

2006年5月
元川悦子

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