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それは銀杯から始まった

フットボールカルチャー > フットボールの歴史 > それは銀杯から始まった

母国からの伝来
フットボールが日本にやってきたのは1873年(明治6年)。東京築地にあった海軍兵学寮の教官として来日した英国海軍のアーチボールド・ダグラス少佐と33人の部下たちが、訓練の余暇にレクリエーションとしてプレーしたのが最初だとされている。

1873年といえば、明治新政府によって欧米に派遣された岩倉使節団が帰国した年。新しい国づくりのために、西洋の国家制度や産業、文化などを積極的に取り込もうとする機運が日本に溢れていた時期でもあった。また、英国で初めてフットボールの統一ルールが定められ、イングランドサッカー協会(FA)が設立されてから10年後のことであった。

フットボールの普及
ダグラス少佐らの帰国後、日本からフットボールの記憶が消えてしまう時期もあったが、1900年代に入るとフットボールは日本国内に急速に普及していく。それは学校教育を通してという日本特有のものであったが、東京高等師範学校で教えていたスコットランド生まれのデ・ハビラントや、名古屋の第八高等学校蹴球部を指導したオックスフォード出身のウィルデン・ハートら、多くの英国人がフットボールの普及にかかわった。

1917年(大正6年)には日本で最初のフットボールの公式国際大会が芝浦埋立地で行われ、これを契機に普及の輪は大きく広がっていく。そして翌1918年(大正7年)1月には、現在の全国高校サッカー選手権の前身である日本フットボール大会(大阪)が、2月には関東蹴球大会(東京)、東海蹴球大会(名古屋)がそれぞれ開催された。

しかしさまざまな事情から、それらを統括する全国的な組織が誕生することはなかった。そんな時、ある出来事がフットボール創世記の日本に起こる。そして、それが日本フットボール界を大きく前進させることになった。

誤解が生んだ貴重な贈り物
1919年(大正8年)3月12日、東京朝日新聞紙上に突如として掲載された記事は、当時のフットボール関係者を驚かした。紙面には立派な銀製のトロフィーの写真とともに「イングランドサッカー協会から『日本の蹴球協会』へ純銀製の立派なカップを寄贈してきた」という内容の記事が掲載されていたからだ。

外国通信社の誤解により、前年に大阪、東京、名古屋で行われた大会が、「日本にも国内を統括する団体ができ、その全日本選手権の地方予選が3カ所で同時に行われた」かのようにロンドンへ伝わった。

このニュースを受けたイングランドサッカー協会(FA)では、早速、日本へ銀杯(FA杯)を寄贈する話がまとまり、1919年(大正8年)1月にはFA杯と「フットボール協会の設立に祝意を表するとともに全日本選手権の優勝チームに授与してほしい」との書簡がロンドンから送られたのだった。

同年3月28日、当時の東京高等師範校長であり、大日本体育協会会長を務めていた嘉納治五郎が英国大使館にてFA杯を受領。その際、英国大使は「これによって、日本のスポーツが一層盛んになり、そしてまた、両国の国際関係も親密になるように」と述べた。

協会設立と全日本選手権
そして1921年9月10日に大日本蹴球協会が設立された。同年11月には全日本選手権が行われ、優勝チームである東京蹴球団にはエリオット駐日英国大使からFA杯が授与された。なお、大日本蹴球協会、ならびに全日本選手権設立の際には、英国大使館書記官ウィリアム・ヘーグが多大な尽力を果たした。

こうして4チームのエントリー(うち1チームは事情により棄権)で始まった全日本選手権は拡大を続け、日本で最も権威のある大会として受け継がれている。

一時は出場資格が限られた時期もあったが、第52回大会(1972年度・昭和47年度)から、日本協会全加盟チームに出場資格を与えるオープン化に踏み切ると、この年の大会には地域予選を含めて75チームが参加。翌年にはその数は807まで増加した。

その後も拡大の一途をたどる大会は、第78回大会(1997年度・平成9年度)からは、全国を9ブロックに分けて行っていた予選を廃止し、全国47都道府県代表チームに出場権を与えるとともに、18歳未満の第2種加盟チームにも門戸を開放。地方予選からの参加チーム総数は6,000を越えた。

なお、決勝大会は各都道府県予選を勝ち抜いた47チームに、Jリーグ加盟チーム、JFL上位チーム、総理大臣杯上位チーム、全日本ユース優勝チームを加えた80チームで争われているが、こうした出場資格の拡大はイングランドのFAカップの精神に習ってのこと。イングランドから寄贈されたFA杯から始まった大会にとっては当然の流れだった。

脈々と生き続けるイングランドの精神
また、決勝戦が元旦の国立霞ヶ丘競技場で開催されるようになったのは第48回大会(1968年度・昭和43年度)からであるが、いまでは、日本のフットボーラーにとって元旦の国立競技場の舞台に立つのは夢とされている。この全ては、イングランドサッカー協会から寄贈されたFA杯から始まったことなのである。

残念なのは、戦争という不幸な歴史によりFA杯が現存しないこと。日本のフットボールの歴史と、イングランドのフットボールに対する愛情が詰まったFA杯を見られないのは、悔やんでも悔やみきれない。しかし、遠い過去にイングランドサッカー協会が日本に伝えた意思は、今年で86回目を迎え、日本最大かつ最古の大会である全日本選手権に今も生き続けている。

2006年9月
中倉一志

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